いろんな言語があるけど、「数学語」って悪意がない分、タチが悪いと思う件

数学語についてです。

もちろん造語です。

 

とりあえず個人的な意見として、「小説家は全員ツンデレ」と認識しております。

伝えたいけど直接言うのは恥ずかしい…けど伝えなきゃ…。

で、ひねり出したのが、「ちょっと友達の話なんだけどさ、そいつ好きな子がいてね…」的な。

上手な人はそれを本当の虚構でも作るけど、それでも本人の意思は「漏れてくる」

 

詩人は甘えん坊。

伝えたくて伝えたくて耐えきれずに伝わらない言葉を繋げちゃう。

結局聞く側が頑張らなきゃいけなくなるっていう。

 

その上で数学者って突き抜けすぎて基本詩人と一緒、と思ってます。

最もわかりやすく話そうとするあまり、最もわかりにくく喋ってしまう。

例えばΣとか∮とかlogとかいう皆ダーイスキな記号とか。

あれで書くと「すっきりして」「見やすいから」「わかりやすい」と本気で信じてたりする。

結果、何も伝わってないことに気づいてない人も多い。

 

まぁここまでの話ぐらい「高度」でなくとも

「コレ、よく使うから覚えておいてもいいかもね」(実際には覚えないとほぼやっていかれない)とか

「コレは、まぁどの文字でもいいんだけど、tにするね」(tである意味がある)とか

してもしなくてもいいよ〜、っていう曖昧さの裏で、実はほぼ決定してる言葉たちも多い。

 

全体が見えてるから、結局曖昧さを残さなきゃいけないなーって思うんだけど、

その配慮のせいで伝わる時には裏が伝わっちゃう。

「よく使うから覚えておいてもいいかもね」ならば「じゃあしなくてもいいんだな」に。

「どの文字でもいいんだけど、tにするね」ならば「じゃあaの方が好きだからaにしよ。」とか。

 

誰しも「走り方」の説明はかろうじてできても、「立ち上がり方」や「歩き方」の説明は難しい。

あまりに基本すぎてあることにさえ気づけないような基礎。

数学者はそこをすっ飛ばしがちになる。(すごすぎる人は別ねー。)

 

で、結局論理的に正しすぎて、詩人化する。

言葉が伝わらない時、相手を責める人も多いけど、それはただの甘えん坊さん、ってことですねぇ。

伝え方って大事。